iPad PVへの嫌悪感の整理

iPad PVへの嫌悪感の整理

不快感を整理しようと思って書いている。

Appleが発表した新型iPadのPVは、個人的にここに載せるのも気が引ける(ので載せない)くらいには悪趣味なものだった、と思っている。

大型のプレス機が、楽器やエンタメ製品、様々なものを押しつぶし、再びプレス機が持ち上がるとそこには(史上最薄の)iPadが残っている、というもの。

これが物議を醸していて、クリエイティブへのリスペクトが無いと大不評だ。少なくとも日本では。
海外ではそうでもない、という話も見たし、「意外と海外でも不評だ」という話も見た。どっちが正確なのかは分からないし、どうでも良いことだ。

これを私は大変不愉快に思ったのだけど、なんだか言われている「リスペクト」とかとは違う理由で不愉快になっているように感じたので、それを整理しておこうと思ってこれを書いている。

シンプルにダサい

多分一番大きいのはこれだと思っていて、若干ニュアンスは違うけど

『何かを褒めるために別のものを貶すのはダサい』

というような見方が近いように感じている。嫌だ、と思うその理由の半分くらいはこのダサさ。
別に貶しているわけではない(これだけ多くのものがiPadに凝縮されている、という意とは伝わっている)と思う(思いたい)のだけど、破壊という手法を用いている以上、マイナスに見ているように受け止めてしまうのは不自然ではないと思いたいところ。

散々言われている通り、『この中にあらゆるエンタメが詰まっている』という話を表現するために『破壊』要素は全く不要で、それをわざわざ選んでいるところに『ただの表現で他意はない』としてしまうのはまた乱暴。インパクトを求めたのも分かるが、そのために破壊を選ぶのが、そう、ダサい。

というか、破壊し尽くした後に残るのは残骸なんだよね……。プレス機は凝縮するものではないので、あれだとiPadが意味しているの、『残骸』じゃん……それはだめでしょ……。

シンプルにつまらない

そしてCMとしてつまらない。嫌な理由の4割くらいはこれだと思う。

もうちょっと言葉を選ぶと、「プレス機と多数の製品の時点でオチが読める」。まあ、あそこまでグロテスクに表現することは読めなかったけどさ。

なので結果として「見え透いたオチの為に長々と破壊映像を見せられる」という虚無がそこにある。

面白いCMって、「何が起こるんだろう?」とか、「どうやってアピールに繋げるんだろう」などと思って映像から目を離せなくなるんですよ。でも、これはただただグロテスクな破壊を流している。なまじ映像としてはしっかりできているから、目はそれを追ってしまうけど、結局最後まで何もない。「おお!まさかこうなるとは!」ではなく「え……ほんとにやるの? うわ、やったよ……」という後味。

「破壊していくのは嫌だけどCMとしては見事だった」みたいな言説を全く見かけないのは、多分そっち。賛否にすらならない。「まあ別に良いんじゃない?」と思うのでせいぜい。このCMを見て「嫌だって気持ちは分かるけど、でもそこに目をつむればめっちゃクールで良いものなんだよ」とすら言えない。

そういう低品質なCMなのだ。「でもお高いんでしょ?」「なんと〇〇円!」みたいなお約束、少なくともAppleに求めてる人はいないと思うんですよね。
私はAppleの顧客ではないので分からんけど、違いますかね?

たとえば

たとえばね、同じコンセプトでもストンと潰して(破壊描写無く)そこにipadが残ってれば、こういう非難にはなってなかったと思う。15秒くらいのCMだ。

これは、今の映像が(見ればわかるけど)『破壊』に焦点を当て過ぎているからだ。
これがなければ、少なくとも、私の不快感は多分1割程度に収まるだろう。或いは消えるかも。

まあ、なんか今回の映像はショート動画?だかで流行ってるらしいプレス機真似したんじゃないの、という言われ方をしていて、それが破壊することに重きを置いているらしいのでこうなってんじゃないのか、とかなんとか。
そういえばそんなのあったね、何が面白いのか分からんかったので最初の1回しか見てないけど。なので破壊の部分端折れなかったんじゃないの、というのは理由としては分からなくはない……。
(え、でもそれだと天下のAppleが素人の暇つぶし動画パクってiPadの発表に使ってるっていう大前提がダサくない……?)

薄さの表現なら、例えば日常のワンシーンで紙の延長みたいに使うとか、スタイリッシュに封筒から取り出すとかした方がスマートだと思うよ。でもそれはそれでApple感薄いかもしれない。

他社製品貶し文化

これアメリカには結構あって、Microsoftは定期的にAppleDisったCM作るし、Appleも似たようなことはやっている。intelはAMD煽り散らかしてるし、そういうのが強い文化があるんですよね。

私的には他社製品よりうちのが凄いんすよ! って言いたい為に他社製品貶すのは、まあそこまで気にならないんですよね。まあ好きにやれば?みたいな。あまり好印象ではないけど、取り立てて「こういうのはダサい」とか言う程でもないかなーと。ダサいかダサくないかで言えばダサいとは思う。

にもかかわらず今回のを強くダッッッセと思ったのは何故かな。
他社製品ではなく文化そのものへの、という心証だろうか。とすると、『文化へのリスペクトが無い』という視点もやっぱり持っているのかもしれない。

たまに見る擁護

擁護?したいのか分からんけど、偶に「映像表現として物が破壊されるなんていくらでもある」と挙げる人は本当にフォローになってないから言葉を変えてあげて欲しい。その表現が悪いと言われているので。

例えば恐怖感を演出するために物を潰すシーンを作るなら、(そこに恐怖感を抱かせられれば)成功だし、それは(潰されるものへの)リスペクトがあると思う。わざわざそれを選んで潰すわけだから。

翻って今回のものはどうかというと、あんなに生々しく潰れていく様を描写して、やりたいことは
・色々なことができる
・薄い
の表現なので、破壊も、その生々しさも何にも寄与していない。(なのでストンと潰して終わっていれば、という仮定を書いた)
それを比べて「破壊される映像なんていくらでもある」は「いくらでもあるのにAppleだけが非難されている、強みの無い映像を作ってしまったのだ」ということを強調しているだけなので、フォローのつもりで刺してるよ背中。だからやめな。

ついでに擁護派からも「CM自体も素晴らしい(ので破壊など些末な問題だ)」って言ってるのを全然見かけないのでやっぱあれ根本的な部分でダメだと思うよ。かっけえ買いてぇってミリも思わんでしょ、あれ。

ジョブズならやらなかった/やった

ジョブズだったらやってたかどうかなんてすこぶるどうでも良いんですが、いっぱい言われているのでついでに記載。
「ジョブズだったら(文化へのリスペクトがあるから)やらなかった」
「ジョブズを美化しすぎ、ジョブズは普通にやったわ」
と賛否?両論だ。
亡くなって10年以上経って尚これを言われるあたり、彼の影響たるや……と思う。

で、「実際にやってる」ということでその映像も出ていたのだけど、それがロードローラー?で他社ノートPCをバキバキと潰していくという映像。

まあ見てて気分の良いものではないけど、言いたいことのメインが『破壊』になっていない分今回のよりはずっとマシじゃない?
言いたいことをまとめて伝えるのに破壊という手段を取りました、という感じ。

ついでに言うとその映像って2000年より前のもので、iPhoneどころかiPodすら出てない時代ですよ。一般に知られるAppleって今はやっぱりiPhoneのAppleだと思うけど、そういう『革新的な』企業がやるにはダサすぎるって気付いたからそれ以降やらなかったんじゃないの? と思います。やってたらゴメン。

なのであくまで個人的な主観ですけど、iPhoneによる一時代を築いた後のジョブズならやらなかったんじゃないかなーと思います。少なくともiphone5とかの時代、ジョブズが出してくるものは毎回本当に新しくて格好良かったので。
でもAppleは元々傲慢な企業ではあると思うので「ジョブズは謙虚だった」的な言説はちょっと笑いました。

まとめ

まとめ。

極端なたとえを出すと、『義手のCMで生身の人の腕を潰して、義手に置き換えてほらすごい!』ってやられても『なんでわざわざ潰したん……?』って思うなぁ、を拡張した感覚。しかもわざわざ潰される人の悲鳴一杯聞かせるの。意味無くない?
過度にグロテスクさを出したホラーとか、そういうのってよくB級って言われるんですよ。結局、世界的な企業であることを期待されるAppleが、自らB級で~~す!みたいなことをやったので叩かれてるんだと思います。

私は元々Appleの在り方は好きじゃなく、10年くらい前にiPhoneとMacbook使ってたっきりで二度と買ってないし買う気もないんで、私がこれを不快に思おうが喝采しようが1円も関係ないんですよね。

ただAppleユーザーと言われる人って、信者度合い(?)の低い人でも前提からApple製品しか見えてないことが多いので、これを機に他にも目を向けてくれた良いなぁくらいのことを思いました。

5月15日にXperiaの新型発表があるみたいなので、カッコいい映像でアピールしてくれたら嬉しいなぁ。

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