「GOROGOA -セイカよ成果は如何程か-」感想文

「GOROGOA -セイカよ成果は如何程か-」感想文

散文的な感想文。本日8月18日に綺麗に完結した、めうめうおじさん様によるVOICEROIDキャラクタとゲーム「GOROGOA」を用いた動画作品、『セイカよ成果は如何程か』の感想文です。

基本的に世の中に存在する感想の共有というのは「めっちゃ可愛い~」だとか「これめっちゃ楽しい~!」とか「これほんまおもんないな~」みたいなレベルの話ばかりであって(オタクというのは深く考えている顔をして大して考えていないのだ。いや、私だけかもしれない。)、何かを語りたいと思っても少々はばかられる気持ちがあるのはもう仕方がない。のだけどそれでもこう、どうしても何か話をしたい作品というのが稀に存在して、誰に読ませるわけでもないのにこうして文章にしてしまうのです。
このサイトを開設したのも、自分が面白いと思ったものを紹介したいという動機があったので、こうして書いているよ。

で、紹介とか言っておいてアレですが未視聴の方はこんなもん読んでる時間があるなら動画を見に行ってください。いや、未視聴の方がこのページに来ることって普通はないと思うけど、念のため。この作品の大きさを、強さを、驚きを、こんな面白さを、こんな文章で知ってしまうのはあまりにももったいないので。本当に。本当に!

感想文1:繋がりの話

この感想文には邪推がたくさん含まれます。ご容赦ください。

さて、この物語は世界中に蔓延する奇病、「V病」に関わった少女たちの物語。京町セイカはその少女たちに時間を超えて出会い、『歴史が望む』とされるたった一つの「正解」を目指していく物語。

「歴史には意思があり、たった一つの正解を探している」という独特な設定を柱に、この物語の時間の神は様々な制限を課してくる。曖昧/固定時空、タイムパラドクス防止措置、歴史の修正力。メタ的な話をすれば、物語を破綻させないための設定でもあるのだろうけれど、これらが全く無理矢理さを感じさせることなく、寧ろ物語の厳しさを突き付けるようにそびえたつ大きな壁になっていて、常に緊迫した展開を突き付けてきます。
お話を語るなら。物語には主題があります。メタ的な言い方をすると、「作者が書きたい(であろう)もの」。テーマとか呼ばれるやつですね。これは分かりやすかったり分かりにくかったり。まあ、そもそも正解は作者ご本人にしか分からないわけだけど。で、このお話の主題は何かなと思ったとき、やっぱりそれは「人の繋がり」なのかな、と思います(的外れかもしれないけれど)。それでも最後にモバリザリンの原料が人を伝って……人の紲によって……最後にたくさんのモバリザリンを生み出した話を思えば、見当外れではないのかなと。うん。むしろ見た人的にはもっと気の効いたことを言え、みたいな感じかもしれない。最近、人があるものを見てどう思うかが本当にわからなくなっていますね。乖離。

話を戻します。何の話かといえば、この物語の繋がりはとても美しいという話。そして私はこういうのが大好きだという話。各章毎の小さいスケールの中でも、それらを跨いだ大きなスケールでも、この物語にはたくさんの繋がりがあって、中にはとてもキツいものもあるわけです。特に、最初と最後のゆかりさん。

けれど、彼女達の行動原理が自分だけを見ていることは無いんですね。常に、他の誰かを想っている。

泥の中に咲く花は、葵とゆかりが茜を想って取ってきた。花が載っていた図鑑を懸命に探したのは、決して茜が図鑑が好きだからというだけじゃないでしょう。大好きなうさひめが、持ってきてくれた本だから。その図鑑を持ってきたのはゆかりで、病弱な茜を想ってのものです。茜を想って懸命に勉強した一つの成果でもある英語の手紙は、最後にはセイカを救う大切な道になる。お金お金うっさい!と友達自身を見てきた少女はずん子とマキを引き合わせたし、それは最後にはV病すら治す事に繋がる。母を想ったマキの行動は、モバリザリンをたくさん生み出すための最後のピースになった。何年間も苦しみ続けたゆかりの、茜への、そして世界中への贖罪の気持ちはマキの気持ちを動かして、ついには鍵の完成に漕ぎつけた。茜を大切に思う葵の頑張りは最後に特効薬を完成させて、世界を救った。言い出せばきりがないほど、誰かの行動は誰かの行動に、そして結果に繋がっていて。有り体な(大変センスのない)言い方をすれば「無駄なことなんてない」物語になっているのです。

またメタな話だけれど、この「無駄がない」というのはお話を作ってみるとこれがまた難しいもので。無駄を省きまくるとプログラムのように最短ルートまっしぐらをしてしまう事務的な流れになってしまったりするもので。同氏の作品はこの無駄のなさと、それでいて事務的な無機質さが見えてこない、絶妙なバランス。この「如何程」シリーズに限らず。

順々に一人ずつの魂を救い、それが間違いなくその先のより良い未来に繋がっていく。一つ一つは小さな出来事に思えるものが、少しずつ積み重なって。そして全体が少しずつ前に進んでいくのを息を呑む気持ちで見続けることができたのは、間違いなく幸福そのものです。
同氏の過去作品3作でも似たようなことを思ったけれど、この作品を見ることができる時代にいられてよかった。この作品の欠点を一つわざわざ挙げるなら、やっぱりすごく体力を使ってしまう事。お気楽に見返すぞ~ってつもりで見始めたのに、いつの間にかのめり込んでしまう。作業用BGVに使うのだけは、お勧めできない。作業が何も進まなくなってしまうから。

感想文2:伏線の話

最後に触れたいのは伏線の話。
勿論メタな話の延長になるけれど、人の繋がりが濃いこの作品において伏線はそれはもう盛沢山になっている。良く勘違いしている(されている)というか私が勝手に『なんか違うよなー』と思っていることだけれど、「伏線は気にされていない部分こそ重要」というものがある。キャラが意味深にニヤリと笑った数話後に「あの笑みの意味はこうだったんだよ!」というのは伏線回収ではないよ、という話。これ感じてる人は多いんじゃないかなーと密かに思っている。で、そういう部分気にする人こそ伏線って大事に思っていると思うので、そういうのが好きな方はやっぱり本作大好きだよねー、と思う。

GOROGOAの正体がきりたんであったことの鮮やかな回収、そしてあかりが実はセイカを過去に送った張本人でもあったことの発覚は正に青天の霹靂。他にもGOROGOAが認識していなかった空白の一日や、日記帳や英語の手紙の意義、そして『歴史が掲げるすべての魂』。

「そうだよな、これがあったよね」という驚きやしてやられた感が満載で正に「これこそ伏線回収の妙!」という喜びに満ち溢れていて最 of the 高。伏線大好き~な人は多分何周もしちゃってるね。

各章末に描かれた小ノ寺さんのイラストも本当に美しい。一枚一枚がとても優しいタッチで描かれていて、どれもとても素敵。最終話の最後はこれまでにも増して必見だった。ああ、よかったなぁ……よかった……。

泣いた!とか感動!とか言われるとそれはもう安っぽくて安っぽくて売り文句としては最悪だと思っているのですが、私はこの最終話だけでもそろそろ失った水分量を理由に訴訟を起こせそうです。どうしてくれる!ありがとうございます!



―――――

感想文3: 最大多数の最大幸福の話、ゆかりの話


で、ここから先は、本当に細かいことを延々とどうだったんだろうかとかこんなだったんじゃないかとか邪推と妄想が入り混じっている文章なので尚更気にしないべきな文章かもしれない。

物語の裏側はゆかりとゴロゴアが握っていたので、その話をします。

結果として……そう、結果として歴史は、本物の時を司る神は、とても優しい存在でした。本当に全てが救われることを望んでくれる存在だった。とすると、この上なく残酷で苦しい話だけれど、ゆかりが導き出した「最大多数の最大幸福こそが「正解」なのだ」とする仮説はきっとかなり事実に近しいものだったのではないか、と思っています。ただ、ゆかりの求めた解よりもより最大多数の最大幸福になる解をセイカが導き出した、ということに過ぎなかったのではないかと。

V病によって死ぬはずだった人は、歴史の求める「正解」によって救われたかもしれない。けれど、まあ例えばその中の誰かがその後に事故を起こして他の誰かが犠牲になるかもしれないのですね。別に話の裏側には犠牲が、という話がしたいわけではなく。固定時空になった世界を「正解への正しい道のりである」とする過程が正しいなら、幼い茜の苦しみは(正解の為には)必要な犠牲であったことになるわけです。

最終話にて「スキマが広がって17日までしか戻れなくなっていた」のは、セイカの成果によるものでしょう。

あの時茜がネズミに噛まれてV病にならなければ、……つまり自分こそが茜を苦しめて世界をV病の恐怖に陥れた原因なのだとゆかりは語っていたけれど、それでも歴史にとってはそれこそが正解だったのかもしれない、という話。

どうなのだろう。もしもこの時代にV病が現れていなかったら。
それはまた異なるタイミングで世界に広まってしまうことになるのではないか。そこには、何年もの月日に渡って執念を燃やしたゆかりも葵もいない。この物語の登場人物達は幸せに生きたかもしれないが、代わりにその何年か後に人類は滅んでいたのかもしれない。邪推が過ぎるといえばそうなのですけどね。

長々とこんな脇道の話をしているのは何かというと、最大多数の最大幸福とは、非情で残酷な摂理なのです、という結論のためです(その原理で動く歴史が残酷な存在だ、という意味ではなく。念のため)。歴史という意思が何を思いながらこの物語を見ていたのかが、気になります。
物語はセイカが(まさかあかりまで含めた)思惑通りに、イレギュラーなタイムトラベルをしてしまうところから始まるけれど、人類のV病との戦いはその何年も前から始まっている。人類で最も始めにV病を憎んだ一人であろうゆかりと葵は、文字通りその人生を捧げる程に戦い続けていた。そのゆかりだからこそ、気付き得たのだろう。歴史の目指す「正解」が最大多数の最大幸福ならば、それは必ずしも自分達の幸福を意味するとは限らないと。

物語の最後、歴史は人の手で作られると神が語るシーンがある。曖昧時空も、固定時空もない。歴史は一つになる。最大多数の最大幸福は、「歴史の見据える正しい姿」ではなくなる。人々が悩みながらも見つけ出したい、未来の一つの姿に過ぎないものになる。  そしてそれは、誰もが目指すものではなくて、だからこそどんな未来になるのかは分からない。
あの物語以降、「タイムトラベル」は出来なくなったのだろう。世界は一つになった。失敗も悲しみも、人間の自己責任になった。

正直なことを言うと、4章終了時点では「ゆかりはどうするのだろう」、と思っていた。第四章の葵編が不穏に終わり、ゆかりは不審に笑っている。ゆかりは歴史の求める「正解」を捨てて、茜が生き延びる(代わりに何か大きなもの――例えば世界――が犠牲になる)世界を選ぶのかもしれない、と考えていたり。ゆかりがそれをしなかったのは、ゆかり編で語られた話によるものだったのかな。V病そのものへの責任感まで背負っていた彼女に、自分達中心の幸福は選べなかった。けれど、同級生に小馬鹿にされただけで激昂し、ねずみを見かけただけで殺すと騒ぎ、何年間も研究を続け、何度も何度も同じ時間を繰り返してきたゆかりが、茜を諦めることを決めた。それがどれほどのことだったか。こういう想像の余地はたまらなく怖いし、きつい。最大多数の最大幸福は、ゆかりにとってどんな意味の言葉になったのだろう。これが正解に決まっている!と叫んだ彼女が苦しい。5章から6章は、正にこの強烈な苦しみの物語になりました。辛かった……。

だからこそ、セイカが不敵に笑ったときのカタルシスたるや。たまんないね!ほんとにね!

感想文4:ゴロゴアの話

姉がV病で死んだきりたんと、姉が目の前で実験体のように扱われ続ける葵。葵は何回「おねえちゃんをそんな風に呼ぶな」と怒鳴ったのだろう、と思って、研究員もころころ代わっていたのかもしれない、等と嫌な想像をしてしまう。姉とは疎遠だったので、というきりたんの本心は6章でようやく吐露される。姉が生きていれば、それが良いに決まっている。どうしようもなくなってから吐き出すのはまた、さぞ辛かっただろう。葵はそれまで(3章まで)の大人しい少女(⇔感情的なゆかり)から、首の皮一枚でぎりぎり理性を保っている危うい少女になっていた。それまでの落ち着いた姿を見ているから、断片的とはいえ失敗した世界を見続け、今いる自分の世界はその中でも最悪の世界。治療薬の開発も進まず、タイムマシンも動かず(この後の動きを考えていたであろうセイカはとても焦っただろう)、全く因果関係の無い道理で死ぬ、全部終わりだ、と叫ぶのも無理はない。お前も私を笑いにきたんだろ、という発言から推測するに、やはり心無い人間がいたこともなんとなくわかる。

葵がモバリザリンという名前をセイカへの謎かけとして提示したのは、それが自分しか知らない言葉だから使おうと今思いついた、というものではないだろう。ゆかりは拷問までしてそれを聞き出している。とすると、ゆかりも何かの折に聞かれた可能性が高い。それも、切羽詰まった状況で。拷問までされないと喋らないものである、となれば葵がそれをとても大切にしていたことは間違いない。毎日毎日、頭の中で何度となく唱え続けて、……6章の世界では、それを完成させて、死んでしまった。完成品が幼い茜にすぐに効いたように映ったことから、或いはあと一歩で完成、まで漕ぎ着けて倒れたのかもしれない。研究員が、きりたんが、それを引き継いで完成させたけど、間に合わなかった。
としたら、このきりたんも、葵の笑顔を見ることは出来なかった。何年間も一緒に研究を続けたきりたんにとって葵は、犠牲になっていては例え疎遠であっても「これが『正解』なのだ!」と強がり続けることも出来なかった、姉ずん子のような存在だったのではないか。笑顔を見たくて、人格を複写してまでこの旅に付いてきたほどに。疎遠になっていなかったら、ずん子の、同じように傍にいたのだろうと思わせられます。

このお話において、セイカは主人公。としたら、あかりはその相棒で、ゆかりはきっと前作主人公とでもいえるような立ち位置にいる。そんな中、セイカとあかり以外に唯一全話で登場を果たしたGOROGOAはきっと、もう一人の主人公。世界中がハッピーエンドで喜ぶ中、それをバッドエンドだと涙を流すであろう数少ないその人自身に、その「逆メリーバッドエンド」とでも言うような道を進ませようとしていたGOROGOA――きりたんの内面は、どれほどのものだったか。

まとめ

こうやって「この時この人はどんなこと思ってたんだろう」と思うのは、彼女たち全員が意志があって血の通った人としての目的を持っていたからではないかな、と思います。ハッピーエンドを手に入れた彼女達は、これから何をしていくんだろう。大切な友達と一緒に生きる毎日が、幸せなものでありますように。

この感想文、数千字くらい書いては「まとまらない!」と言って消す、というのを3回くらい繰り返しているのでどこかに「先述の通り」とか言いながら先述してない、みたいな部分がある気がします。見直しはしたけど、大丈夫かなぁ……。そしてそれだけやっても全然まとまってないなぁ……。

本当はこの倍くらいの文量があったりもしたのですが、流石にもう散文どころではなかったのでごりごりと削っていました。

ここまで読んで頂いた好事家の方々には、「お疲れさまでした」と「ありがとうございました」を。

そして、作者であるめうめうおじさん様に、ありがとうございました。それとお疲れさまでした。これからしばらく休止期間とのことなので、ファンは座して待つのみですね。確率論者茜ちゃんが「続く確率100%」(!)ですから、膝を抱えて座りながら楽しみに待つのです!

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