政治家が食べる●●円の▲▲

政治家が食べる●●円の▲▲

某、とても有名な政治家は3000円のパンケーキを食べるのが好きらしい。音速が遅い話題である。

私はテレビを見ないし新聞も読まないのでSNSを通して知っただけだが、これがどこかの誰かにとっては気に食わないものだったらしい。
「政治家がそんな贅沢をしおって、許せない」というのが大方の意見のようだ。

曰く、「庶民感覚が無い」とのことで、言われてみれば確かにその通りだとも思う。おやつに3000円を支払う人間はそう多くはいないだろう。それが「いつも」(程度は分からないが)となれば、まあ金銭感覚を疑いたい気持ちは分からないとは言わない。

しかし、今度はその苦言が気に障った人が現れる。曰く、「氏はとてもたくさんの仕事をしている」「彼は下積みも長く大変な苦労をして今のポストにいる」「彼はいつでも仕事にあたれるようにお酒も飲まない生活なのだ」--要するに、「なのだから3000円程度のパンケーキくらいでそんなに目くじらを立てなくていいじゃないか」ということだ。

なるほどそれも分からないではない。苦労をした後にはご褒美が欲しいものだし、彼の仕事量は常人のそれとはおそらくは比較にならないのだろう。おやつが高級なことくらいで怒られるのは割に合わないというのも納得できる意見だ。

と、ここまで何の役にも立たないどっちつかずな話をしてきたけれど、勿論そんな「どっちもわかるよね」とかいうことが言いたいのではない。

世の中の人は問題を正しくとらえることが出来ないのか、する気が無いのか、とにかくもう論点が散らかりすぎている。
そもそも、別に氏に限らず、3000円だろうが10000円だろうが、そのおやつは誰にだって食べる権利があるものだ。彼が働き者だろうが、怠け者だろうが、聖人君子だろうが犯罪者だろうがそんなものは関係ない。

3000円はダメなら2500円は?2000円は?1000円なら? あるいは量に対して比較するのか? 否定する側の個々の裁量で基準の決まる曖昧な否定(つまり議論としては全く意味が無い)に対して、彼らはまた「働き者だ」「大変な人だ」などという個々の裁量で基準を決める曖昧な判断を持ち出して対抗している。

それは要するに同レベルの話で、とても低い所で争っているのをわざわざSNSを通して世間にさらしていることになる。氏の行動を諫める側も擁護する側も、勝手な想像だがおそらくは大勢いるであろうまともな思考をしている人からは迷惑がられているのではないかと想像する。見るに堪えない。

SNSの恐ろしい所は、そういうまっとうな意見に見せかけた感情論が正論であるかのように扱われることが珍しくないことだ。1000回、2000回とリツイートされているのを見ると、多数派に立ったような気になれるのだろうか。多数派になれば一旦落ち着いて考え直す必要もなくなるのだろうか。

幼い子供が原因から離れてただの悪口になった言い合いをしているときに「君が正しい!」と片方に肩入れする大人はそうそういない。同様に、「氏の行動は良くない」と思った人も「良いじゃないか」と思った人も論点のズレた議論には加われない。まともな人に相手をされたいなら、子供の罵り合いではない形に直していかなくてはならないのではないか、と思う。

もしも、「まともな大人に介入されないため」にこんな盛り上げ方をした人物がいたとしたら、それは見事な手並みだった。こんな文章は全て無意味になる。そうじゃないことを願いたい気持ちの中に、そうであってほしい気持ちが少しだけある。世の中は難しい。

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